にちぎん

村上ファンドへ金を出していた日本銀行福井俊彦総裁

その金融資産は夫婦で2億3170万円だったとか

金融資産でそれだけって事は土地家屋みたいな不動産をあわせるともっとって事ですよね?
すげーなぁ

たまたま会社の人が「日銀ってそんなに儲かるのかなぁ?」みたいな話をしてたのを聞いてふと思い出した事がありました

それは私が証券会社にいた時の話


その頃の私は営業から本社で大蔵省(当時)とかの担当に異動をしてました
同時に会社の相談役の秘書まがいの事もやらされてました

今はどうか知りませんが、当時はどんな銀行でも日銀からの天下りを受け入れてました
地銀だって東京とかには必ず支店があったので、そこ付の顧問みたいな形で受け入れたりして

証券会社は地方のみの会社も多かったので全てとは言いませんが、私がいたところは銀行系だったので数名の天下りを相談役として受け入れてました

その人らはだいたい3年くらいで相談役を退任し、退職金を貰って他の会社に移るというお約束のパターン

しかも、場合によっては銀行に籍を置いたまま出向扱いだったりする事もあるので、それなりの年齢になったら銀行での年金と証券業界での年金と普通の国民年金の3つをもらえたりするわけですよ
年金だけで普通のサラリーマンの月収より多かったりして(苦笑)

その内の1人の秘書まがいの事を当時してました(もちろん仕事はそれだけじゃないけどね)


その人は毎朝だいたい10時くらいに出社し、とりあえず新聞を読みます

11時半くらいになると昼飯

週に2回くらいは会社の役員連中と会社の金で食べてましたなw

13時〜13時半くらいになると戻ってきて、なんかゴソゴソやってるので聞いてみると「自伝を書いてる」との事
自伝ってよく聞くけど、本当に書いてる人を見たのはそれが初めてかな(笑)

で、15時半くらいになると帰るという感じ
週に1〜2回くらい17時過ぎまでいる事があるんだけど、それは社内外の誰かと接待だったりします

全然仕事をしてないじゃん!w


当時、証券会社には3〜4年に1回大蔵省(当時)の業務査察がありました
インサイダーって言葉が出だした頃だったので、前回の査察以降の全ての取引の伝票とかをコピーさせられたり、突合せをさせられたり
会社の規模によっては3〜4日くらい泊まりこみになる事も少なくないそうなのです
私が本社にいた頃、1回だけそれがありました

査察は朝9時から始まるので社長から役員全員が揃ってお出迎え
元日銀の相談役もこの日ばかりは朝が早い

挨拶代わりの名刺交換をする時、相談役は相手の大蔵役人の名刺を見て…「×課の方なんですか。○○部の部長をしてらっしゃる▲▲さんとは私、大学の同期なんですよ。あと□□さんとも時々ゴルフとかでご一緒させていただいて…」と軽く一言

査察に来る役人さんはそこそこの偉さの人と雑用係の若手という組合せが多いのですが、相談役が出した名前は彼等より2ランクは上の人
当然恐縮する役人さん

これで査察は8割がた終わったも同然
そんなお偉方と親しい相談役がいる会社が悪い事をしているわけが無いという前提で査察が行われるんです

そして元日銀相談役の唯一の仕事がこれだったりするんですよ

3〜4年に1回の査察なので、任期中には1回も無いかもしれないし、運が悪ければ2回あるかもしれない

その時のためだけの相談役

普段は好き放題で、月給は確か額面で80万前後くらいだったんじゃないかな…


ちなみにこれ、バブル期の話じゃありません
私がいた頃だから証券不祥事や湾岸戦争とかで証券市場がメチャクチャになって数年後の証券業界が最悪だった頃の話です

当時、私はボーナスなんてもらった事なかったもの
会社の業績が悪いからという理由でね


そんな中でも相談役みたいな浮世離れした人が業界にはゴロゴロしてたのも事実だし、銀行・証券業界に限っていえばそういう人のほとんど全てが日銀&大蔵OBでしたね


そんなに日銀とか官僚の人って忙しくて凄い事をやってるのかな?って時々思うんですよ
そりゃー忙しいだろうし、大変だろうけどそんなのは仕事をしていれば当たり前の話だもの
その形が業種によって違うだけで

特に今回の話はオチがないんだけど(笑)、昔そんな人がいましたって事で書いときましたw